「何故スプラトゥーンはサッカーから学べることが多いのか:競争闘争理論の紹介」

前置き

今回は自分の戦術論の根幹を作ることになった以下の「競争闘争理論」という書籍の紹介と、この本からスプラトゥーン用に導き出された結論について書いていこうと思う。


サッカーもスプラトゥーンも「直接的・集団・闘争」である。

この本はサッカーの分類から始まる。

まず最初に分けられるのは「競争」と「闘争」だ。「競争」とは「相手からの妨害を受けず、自分の技術を十分に発揮すること」を目的とした、いわば「自分に勝つ」ゲームである。それに対し「闘争」とは「相手からの妨害があり、自分も相手を妨害でき、そういった影響力を発揮すること」を目的とした「相手に勝つ」ゲームである。サッカーはシュートやドリブルを防ぐなどの妨害があり、スプラトゥーンもキルや塗りなどの妨害があるため、どちらも「闘争」に分類される。

次に分けられるのは「個人」と「集団」だ。これに関しては見ての通り、サッカーは11人同士、スプラトゥーンは4人同士の「集団」闘争となる。

最後に分けられるのは「直接的」と「間接的」だ。例えばテニスやバレーボールはネットで区切られており、相手への干渉は基本的にボールを介してのみ行われる。それに対してサッカーはポジショニングなどボール以外の要素でも大きく干渉が行われる。そのため、テニスなどは「間接的」、サッカーは「直接的」となり、もちろんスプラトゥーンも「直接的」集団闘争に分類される。

つまり、スプラトゥーンにおいてサッカーから学ぶことが多いのは「同じ"直接的集団闘争"に分類されるからだ」と考えられる。

「何故この分類が重要なのか」や「この分類から何が言えるのか」については上記の本に任せるとして、以下ではこの本から導出されたスプラトゥーン用に使える概念を紹介していきたい。

「早く」と「遅く」以外の選択肢はない

この本では「早く」と「ゆっくり」で定義されているが、ここでは「早く」と「遅く」という単語を使っていく。

詳細に関しては本の方に任せるが、簡単に言えば「早く」と「遅く」は以下のような意味を持つ。

  • 早く
    • ハイリスク・ハイリターン
    • 時間をかけないのが理想
    • キル狙いの戦闘など
  • 遅く
    • ローリスク・ローリターン
    • 時間を稼ぐのが理想
    • 生存重視の牽制など

この本では全ての意志は「早く」か「遅く」かしかないと書いてあり、自分のスプラトゥーンへの応用でも同様に考えている。

チャンスが来たのであれば「早く」行動するのが望ましいが、チャンスがまだ存在していないのであればチャンスを作るために「遅く」行動するのが望ましい。つまり、状況的に「チャンスであれば早く」「チャンスでなければ遅く」という2パターンしか存在しないため、見出しの通り「早くと遅く以外の選択肢はない」という結論になる。「早く」はまだ理解してもらえると思うが、「遅く」については説明が必要かと思うので、それは次の項目で説明する。

ちなみにセオリーは上記の通り「チャンスがないなら遅く行動すべき」だと自分は考えるが、もちろん例外はある。例えばスプラ2の黒クアッドなどで顕著だが「ゾンビステジャンの単騎特攻」というのがある。これは「早い」行動に分類される。ゾンビステジャンによりリスクの方を減らすことでリスク・リターンの配分を良くする有名戦術であり、こうした「早い」行動の方でチャンスを作る動きというのも十分に考えられる。(あとで説明するが、この動きは「遅く」→「早く」の切替を「ゾンビステジャン」によるリスク軽減で行ったと捉えることもできる)

なんにせよほとんどの行動は「早く」か「遅く」かに分類され、どちらでもないものは「ただ単にチャンスについて考えていない行動である」と言える。自分の行動からそういった「どちらでもないもの」を徐々に減らしていくことが上達方法の1つになるかと思う。

チャンスが来るまで「遅く」動く

上記の説明で「遅く」とは「ローリスク・ローリターン」と書いたが、実際のところこの動きで狙うのはチャンス作りであるため「将来的なリターンを狙ったローリスク・ローリターン」というのが正しい。

例えば「味方がアーマーを溜める」「味方の長射程やプレッサーが相手を1枚落とす」といったプラスを待つ動きのほか、「2VS4の状況なので退いたり牽制して4VS4に戻す」といったマイナスをゼロに戻すような動きも含む。それらが達成されるまで「遅く」すなわち「生存しつつ時間を稼ぐ」動きを行うことになる。

「遅く」動く場合、大抵は牽制することになるが、あくまでそれは上記のような「リターン」を想定した動きになる。そのため「味方がアーマーを溜められるようにし、自分はアーマーがついた時に攻めやすい位置取りをする」「味方の長射程に抜いてもらうため、長射程を守りつつその射程圏内に相手が来るようにする」といった明確な目的をもった牽制を行うべきであり「なんか膠着状態になったから牽制だけしておく」という無目的な牽制はできるだけ減らしていくことが望ましい。(せめて「盤面把握の時間が欲しいから牽制」などにしていきたい)

そのため、「遅く」動く場合に重要になるのは「互いの武器編成(スペシャルなども含む)の把握」と「盤面把握」になる。「武器ごとのスペシャル」といった「知識」のほか、「相手の射程の体感的な把握」といった「経験」、さらには「マップを開く癖」といった「能力」など色々なものが必要となってくる。(スプラ3ではマップを開けば相手のスペシャルなどもわかるので多少変わってきそうだが)

そしてこの「遅い」動きで実際に目当てのリターンが得られた場合、「早い」動きに移るかどうかの判断を迫られることになる。

チャンスが来たら「早く」動く

こちらも上記の説明で「早く」とは「ハイリスク・ハイリターン」と書いたが、実際には「リスクを可能な限り減らしたうえでハイリターンを狙う」というのが正しい。

例えば「相手が隙を晒していたのでキルを狙う」「交戦中のところにフォローでキルを狙う」「相手が2枚落ちたのでオブジェクトを進める」「相手が2枚落ちたので相手の防衛地点を先に抑える」などがあり、「遅い」動きに比べるとリスクが相応に高まりはするものの、「遅い」動き以上のリターンが得やすい行動が該当する。

「遅く」動くだけでも一応リターンは得られるかもしれないが、「早く」動くことに比べるとどうしてもリターンが小さくなる。特にヤグラやホコに関しては少しでも進めておくことが結果的にはリスクの低下にも繋がるため、リスクがある程度減ったら「早い」動きをすることが望ましい。ではどの程度リスクが減ったら「早い」動きに移るべきだろうか?

「遅く」と「早く」の切替

「遅い」動きから「早い」動きへ切り替える際の条件とは何か?逆に「早く」から「遅く」への切替は?

これに関しては「正解」と呼べるものはない。これも「闘争」に分類されるゲームの特徴であるが、「競争」においては「いかに正解を選ぶか」が重要であるのに対し、「闘争」においては「選択をいかに正解にするか」が重要となる。つまり、選択した時点では正解かどうかはまだ決まっておらず、結果が出た時点で正解だったかどうかが確定する。そのため、「妥当性」に関してはある程度言えるものの「これが正解」というものは存在せず、どんなに妥当に見える選択だったとしても結果が伴わなければ「正解ではなかった」ということになってしまう。

それでもいくつか考えておけることはある。

たとえば、遅さと早さの切替の判断材料になる「要素」。これに関しては「4VS2になったら数で押し込む動きが強い」ことからわかるように「(局所的な)人数差」がまず考えられるし、「アーマーがついたら押し込みたいし、逆に相手にアーマーがついたらせめてやられないようにしたい」ということから「スペシャルの使用」も考えられる。また、お互いにそれなりにカウントを取ったヤグラで「相手よりカウントリードした」ならそれ以上頑張ってもリードしている事実は変わらず、むしろオールダウンすると相手に逆転の目を与えてしまうから撤退判断を下すという「カウントの状況(十分にカウントを取っているか・リードしているか)」なども考えられるだろう。
これらの要素は「トリガー」、すなわち「それが変化したら早い・遅いの切替の判断が必要になる要素」と捉えることができる。実際に切り替えるべきかどうかはその他の要素とも絡むのでやはり正解は出ないが、なんにせよ「何が起こったら早くと遅くの切替判断をするか」を事前に把握しておくことで切替のチャンスを逃さず、切替の速度も上げていくことができると思う。

早くと遅くを切り替える「タイミング」に関しては上記の通りトリガー=要素の変化によってかなり絞り込めるが、「妥当性」に関しては無数のパラメータがあるため極めて難しい。ざっと列挙するだけでも「味方の武器×4と相手の武器×4のそれぞれの相性」「互いのデス状況」「互いの位置」「互いのスペシャルの溜まり具合」「互いのスペシャルの現状に対する有用性」「自分を含む8人のプレイヤーはそれぞれ攻める意識が強いのか守る意識が強いのか」などが考えられ、さすがに上記のタイミングでこれらをもとに「思考する(時間をかけて判断する)」のは現実的ではない。思考に時間を割いていてはせっかくのチャンスを逃すことにもなりかねない。それ故、事前に情報の整理などはするとしても実際の現場では「直感」など経験をもとにした判断が重要になってくるのではないかと思う。

防衛は「ゴールを守る」ものではない

ここまでは「早く」と「遅く」に関する話だったが、ここからは「ターゲット」についての話になる。

サッカーにおいてもガチヤグラなどにおいても「ゴールを守る」という表現があるが、では「ゴールを守る」には何をすれば良いだろうか?サッカーであればゴールの前に11人全員で並んでゴールを塞ぐべきだろうか?ヤグラであればゴールの周囲に4人が固まるべきだろうか?

そうではない。確かに防衛時の「目的」は「ゴールを守る」ことと言えなくもないものの、「目標」は「ゴール」そのものではない。相手の目標(目指す先)がゴールなのであって、自分達の目標(目指す先)はゴールではなく相手のオブジェクト(サッカーであればボール、ガチヤグラであればヤグラ)である。

つまり、防衛の基本は「相手のオブジェクトを止める」ことになる。ゴールを守ろうとしてオブジェクトとゴールの間で右往左往するのではなく、相手のオブジェクトを止める動きをしなければいけない。それは結果的にオブジェクトとゴールの間での行動になる場合もあるが、あくまで重要なのは「オブジェクトを止めること」であって「オブジェクトとゴールの間に居ること」ではない。

この「目標」すなわち「ターゲット」は攻めと守りで切り替わる。攻めている側は「相手のゴール」がターゲットになるのに対し、守っている側は「オブジェクト」がターゲットになる。また、スプラトゥーンにおいてはルールでも変わり、ガチエリアにはエリアはあれどもゴールはないし、ナワバリに関してはエリアすらない(というか全域が実質的にエリアである)のでゴールをターゲットにできない。ガチエリアの場合はエリアを確保するまではエリアをターゲットとして良いと思うが、抑えの段階ではエリアではなく(相手がエリアに接近するための)ルートがターゲットになるのではないかと思う。ナワバリに関しては明確なオブジェクトがないためターゲットの設定自体が難しく、ナワバリの難しさはそこから来るのではないかと思う。

ちなみに余談だが、本書ではサッカーの弱い守備は「ターゲットを自陣ゴールにしているため」としているが、自分の解釈では「ターゲットを(ボールと自陣ゴールを繋ぐ)ルートにしているため」ではないかと思う。それ故にそのルート上に立っているだけで守備をしている気分になっているのではないか?とスプラのガチヤグラガチホコをしていて思った。ガチエリアの抑えなどにおいてはその動きでも問題ないのだが、ヤグラやホコの防衛はルートそのものは目標にはならない(手段としてそうなることはあるが)。

そしてサッカーと違い、スプラトゥーンにおいては「オブジェクトがどちらのものでもない状態」というのが頻繁に発生する。サッカーにおいてもボールがフリーになることはあるが極めて短時間であり、スプラトゥーンのように数十秒ものあいだ未確保の状態が維持されるようなことはまずないだろう。
つまり、スプラトゥーンにおいては「攻める時のターゲット」と「守る時のターゲット」の他に「拮抗時のターゲット」というものが存在する。ではスプラトゥーンにおける「拮抗時のターゲット」は何になるのか。攻めと同様に「相手ゴール」になるのか、守りと同様に「オブジェクト」になるのか、それとも第3の選択肢があるのか。
結論から言えば「オブジェクト」になると自分は考えるのだが、守りの時の「オブジェクト」とは少々違うので、もっと細かく見ていこう。

ここで重要になるのは、この本においてターゲットの話は「対象」だけで良かったものの、スプラトゥーンにおいてはさらに「主体」と「動作」がないと区別がつかないということだ。文章的に言えば「目的語」だけでなく「主語」と「動詞」がないと区別ができない。
例えばガチヤグラにおいて攻める時の目的は「オブジェクトが」「ゴールに」「近づく」こととなり、守る時の目的は「味方陣営が」「オブジェクトを」「止める」ことになる。
これに対して拮抗時の目的は「味方陣営が」「オブジェクトを」「確保する」ことになり、守る時の目的とは「動作」が異なる。微妙な違いではあるものの、例えばヤグラにおいて「止める」場合はボムを乗せるだけで達成できたりするが、「確保する」となると本体も接近しないといけないので必然的に必要な手順は変わってくる。
そして「止める」にしても「確保する」にしても、それだけでは不十分だ。「止め続ける」だけでは一向にこちらの攻めに移れないし、「確保してすぐにやられる」状態では一向にカウントが進まない。つまり、「止める」「確保する」だけではなく、その「次」まで考える必要がある。この点について次の項目で詳しく見ていこう。

「次」の考え方

まず、「フェイズ」という単語について先に定義しておこう。(本の中での定義とは違うので注意)

例えばホコを例にすると、攻めが続く流れとしては「相手を排除できたのでホコを運ぶ」↔「相手の防衛とこちらが戦闘になり拮抗状態」という2つのフェイズが交互に繰り返し現れる感じになるかと思う。これらの段階をそれぞれ1つの区切りとし、ここでは「フェイズ」と呼ぶこととする。(本の中でのフェーズの概念と共存させたい場合はステップやステートなどと言い換えた方が良さそうだが、今回は馴染みのあるフェイズという単語を利用する)

ではこのフェイズの概念が何の役に立つかと言えば、上で出た「次」を考えるために必要となる。

例えば「ホコは割ったが、持ったらすぐに攻撃されて運べなかった」というのは特に低ウデマエではよくある現象だろう。これは「ホコを持つ」というフェイズは達成できたが「ホコを運ぶ」という次のフェイズは達成できなかった、と捉えることができる。

重要なのは「フェイズを先に進めること」だ。つまり「ホコを持つ」というフェイズ目標を達成するだけでは不十分で、「ホコを持つ」が達成できたうえで次の「ホコを運ぶ」というフェイズも達成できる状況にすることが重要となる。両方の目標が達成できそうな状況にしてから「ホコを持つ」ことができれば「ホコを運ぶ」こともでき、フェイズが進むことになる。

そのため、攻め・守り・拮抗のいずれの状態であっても「今のフェイズ目標」に加えて「次のフェイズ目標」の達成まで考慮して事前に準備しておくことが重要になる。守りにおいては「止める」だけでなく「戻す」必要があるし、攻めにおいては「確保する」だけでなく「進める」必要がある、ということだ。

ただ、たとえば「ホコを持つ」→「ホコを運ぶ」ができたとしても、その先の「拮抗状態に持ち込む」前にホコ持ちがやられることが往々にしてある。フェイズは1つ進んだがそこで終わってしまい、今度は相手がフェイズを進めやすい状態になる。であれば「次のフェイズ」と言わず「次の次のフェイズ」まで見るべきだろうか?

この部分に関してはなんとも言えない。「1フェイズずつ地道に進めるべきだ」とも言えないし「2フェイズずつ進めた方が相手より1回の進みが多いから有効」とも言えない。これも先程のように「正解がない」ものだ。自分としては1フェイズずつ進めるのが「妥当」ではないかと考えるが、状況によってはそれが「正解」にならない可能性も十分に考えられる。

なんにせよ1つだけ言えるのは「次のフェイズ」まで考えないと一向にフェイズが進まないということだ。攻めの継続であれ防衛の成功であれ拮抗からの起点作りであれ「フェイズを進める」ことができてようやく有効な立ち回りとなる。

エイム練習の是非

今度はスプラトゥーン界隈でよく見かける「エイム練習はするべきか否か」において、この本における視点から考えていきたい。

一般的なエイム練習賛成派の主張は「キルが獲りやすくなる」だ。実際、止まっているマトに弾を当てられない状態では動いている相手にはなおのこと当たらないだろう。「エイム練習だけでキルが獲れる」と主張する過激派も居れば「相手に当てやすくなって困ることはない」という穏健派も居る。

逆にエイム練習否定派の主張は「別にキルは獲りやすくはならない」だ。これも実際には相手は不確かな動きをするわけで、エイムの練習通りにいくことは稀だ。それよりも「キルが獲りやすい状況を作る・狙う」方が重視されるし、キル能力の向上を目指す場合に時間をかけて練習すべきは「エイム」ではなく「相手を動かす方法の把握」だったり「相手を狙いやすい位置の把握とシミュレーション」だという主張がある。

では本書ではどちらが支持されるだろうか。

最初の分類の話で出てきたが、スプラトゥーンは「競争」ではなく「闘争」である。「自分と戦うゲーム」ではなく「相手と戦うゲーム」であり、「技術力」よりも「影響力」が重視されるゲームであり、「エイム力(技術力)」より「盤面操作能力(影響力)」が重視されるゲームである。つまり、「エイムの練習よりも盤面操作の練習の方が重視される」と言える。(詳細については本の方を参照)

もちろん、「盤面を操作するためにエイム能力が重要」というのはありうるし、特にリッターなどにおいてはそれが顕著だろう。ただし、エイム能力が盤面に影響する度合いは武器によって大きく異なり、さらにはキルそのものが盤面に影響する度合いもまた変わってくる。

ここで言う盤面操作能力とは今まで説明してきた「早く・遅くの切替の精度・速度」であったり「フェイズを進める能力」であったりするわけだが、これらの実行に際してエイムが必要な場面も確かにある。しかし同時にエイムが必要ない場面もかなりある。たとえば防衛時に「相手がすでにそこまで入りこんでいるだけで(こちらが実際にダメージをまだ食らっていないのに)イヤ」という風に感じたことがあるだろう。「塗りを取られている側のローラー・ブラスターがうまく動けてない」というのも見たことがあるだろう。「攻撃しようとしたらちょうど相手にアーマーがついて逆にやられた」という経験もあるかもしれない。試合に勝つためにはこういった盤面の操作能力の方がただキルをとるだけの能力より重要となる。エイム能力はキル能力の一部でしかなく、キル能力も盤面操作能力の一部でしかない。そのため、練習することがあったとしてもそれは「盤面操作能力の向上の一環」として行われるべきだろう。

そして、そうなってくると1つ問題が出てくる。「盤面操作」はそもそも「盤面」がないと練習ができないのだ。1人で脳内で行うにしても、まずは実戦のデータがないとどうにもならないだろう。エイムのような「技術力」であれば相手が居なくても練習できるが、盤面操作のような「影響力」の場合は相手が居ないことには練習できない。

ではどう練習するか?となると結局のところ「実戦から学ぶ」しかない。もちろん、闇雲に実戦だけこなせば良いというわけではない。録画などで自分のプレイを客観的に見つつ何が良かったか・何が悪かったかを確認したり、「ここでこうしていたらどうだろう?」という改善案などのアイデアを出す時間は欲しいし、改善案を次の試合で実行するための練習もしたい。つまり、技術の方が重要な「競争」で見られる「練習してから実戦」という流れではなく、「闘争」においては「実戦してから学習」という流れにならざるを得ない。別の言い方をすれば闘争においては「実戦で出た問題を練習でいかに解消するか」というアプローチが重要になる。そのため、盤面操作の学習においてはエイム練習は本当にごくごく一部にならざるを得ない。

ここまで長々と書いてはきたが、以上の「技術力より盤面操作力」というのはあくまでこの本の理論部分だけ踏まえたうえでの結論であり、この本そのものと自分の結論はまた違う。というわけで、最後に「プレイの目的」について書いて今回は終わりとしたい。

ゲームの目的とプレイヤーの目的

「ゲームの目的」は基本的には「勝利」だ。サッカーでもガチマッチでもナワバリバトルでもそれは変わらない。これは「闘争」ゲームにおける基本でもある。

しかし「プレイヤーの目的」は違う。あるプレイヤーは「ただ楽しい時間を過ごしたいから」かもしれないし、あるプレイヤーは「上位に入りたいから」かもしれないし、自分のように「ただ無限に上手くなりたいから」かもしれない。なんにせよほとんどのプレイヤーの目的は「勝利」ではないし、「勝利」ではない方が良いだろうというのが本書の主張であるし自分もそれに賛同する。

つまり、上記のエイム練習に関しても「やりたいならやれば良い」と自分は思う。それで勝率が目に見えて上がるとは思わないしタイマンの勝率が劇的に上がるとも思わないが、「エイムが外れてやるせない気持ちになる」というのはとても理解できるし「スーパーチャクチを落とせると気持ち良い」というのも理解できる。だからそういった「自分の楽しみ」のためになら別にやって良いと思う。つまり、何をするにしてもそれは他人が決めるものではなく当人が「プレイヤーの目的」に応じて決めるものだろう、というのが自分の結論になる。

まとめ

以上の項目の他にも「味方や相手の行動意図をスプラトゥーンでどう汲み取るか(コミュニケーションの問題)」「本の方でのフェイズの扱いとは?」などまだ書いていない内容自体は残っているものの、今回は一旦ここまでとしたい。文章を長くするのが目的なわけでもなければ、自分が本書で学んだことを全て書ききりたいわけでもない。(そのわりに長くなってしまったが)

自分のスプラにおける戦術論そのもの(戦術のレイヤーの話や、そもそも具体的に何をすれば良いのかなど)についてはスプラ3でXに上がる頃にまたいずれ別エントリでちゃんとまとめたいとは思っているが、今回の目的は「サッカーの知識がスプラトゥーンに役に立つ」ということの理由と具体例を示すことであり、それは達成できているのではないかと思う。

というわけで「競争闘争理論」の紹介であった。自分の現在の戦術論のベースを作ってくれた、とても良い本だと思う。