SENSE OF WONDER NIGHT 2009:個人的レポート

=追記=

参考リンクを一件追加(2009/09/30)
ボールキャリーのリンク(実際に遊べるFlash)を追加した(2009/09/30)
SOWNの公式動画を追加(2009/11/14)

=前置き=

会社用のレポートの転載と一部改変(レポート本体は真面目すぎるので)。
GAME Watchの記事でも結構説明されてるので、問題はないはず。

=レポート=

==概要==

コンセプトなどが「Sense Of Wonder(斬新)」と呼べるゲーム10作品の紹介。

会場では「ピコピコ(振るだけでピコピコと音が鳴るおもちゃ)」が配布され、「Sense Of Wonder」を感じた時に振るものだと説明。実際には「拍手」の役割に近く、「拍手」よりも精神的にやりやすい印象があった。

以下、それぞれの作品について解説。

==ボールキャリー==

「キーボードをマップに見立てる」ゲーム。


キーボードを押すと、その位置のマップがへこむ。このへこみを利用することでボールをゴールへ運ぶだけのゲーム。
「ボールをゴールへ運ぶ」という内容自体は極めて普通だが、「キーボードでへこませて移動させる」という処理は「ブラインドタッチが困難」「手を交差させる」などの「普通のキーボードの扱いとは違う扱い方」を誘発し、「既存のデバイスでも新しい扱わせ方は可能」ということを示唆する内容だった。


==Hazard==

教訓ゲー。


穴があるところで「JUMP!」という表示に従ってジャンプしても、向こう側には辿りつけず、着地した先には「言うことを聞いても上手く行くとは限らない」と書いてある。
「EXIT」という扉に辿りついてその扉を開いても目の前には壁があり、「重要なのは過程である」と書いてある。
といったように、あらゆる「教訓」が詰め込まれたゲーム。アクションゲームのように見えて「ジレンマの解消」や「タイミング」などの要素はなく、むしろ「読み物」に近い感覚があり、「表現媒体としてのゲーム」の価値を示唆する内容だった。




==Shadow Physics==

「カゲカゲの実」の物理ゲーム。


プレイヤーは影であり、他の影に飛び乗ったりすることでゴールを目指す。
影と実体は二つで一つであり、「実体が動くと影が動く」のはもちろんのことながら、「影を動かすと実体が動く」という処理も行っている。
さらに「ライトを増やすことでプレイヤーを二つにする(どちらか片方でも影にぶつかればどちらもぶつかったことになる)」といった処理や、「ライトの位置を変えることで影を操作してプレイヤーを導く」といった内容など、レベルデザインの幅の大きさも見せていた。




==Incompatible BLOCK==

「2D→3Dのコンバート」を活かした作品。


基本的には画面上の立方体を動かして積み木のように重ねるだけの作品。ただし、通常の積み木とは違い、「下にくっつける(積み下げる)」「横にくっつける」などの動作が可能であり、さらにそれに応じて自動で位置調整がなされる。例えば「ブロックを下に追加」したら、その下のブロックの位置に合わせて上のブロックも移動する。
ラクガキ王国」などで使われている「Teddy」も「2D→3D」のコンバートであり、組み合わせることでより直感的なインターフェースになるのではないか、などと思った。
また、"「2D→3D」は「積分」であり、「積分定数」の値次第でいかようにもなる"という数学的な概念を肌で感じるような作品だった。


==You Only Live Once==

「本当に一度しか遊べないゲーム」=「人生」


「本当に一度しか遊べない」というゲーム。ただそれだけなのであるが、マリオをパロった内容であり、やけにグラフィックやボイス・演出に凝っており最初は見てるこちらが恥ずかしいような出だしから始まり、開始直後にすぐにジャンプミスで死んでしまってからはこれでもかというほどに「一度しか遊べませんよ」という演出を重ねてくる。死亡直後は左下に「CONTINUE」が表示されるのだが、これを押しても復帰せず「ピーチ姫的な存在がケータイで救急車を呼ぶ」「ニュースで死亡記事として取り上げられる」など毎回異なった「CONTINUEできません」的な演出が繰り出される。さらに、起動しなおしても「ゾンビになった一枚絵」などが表示されるばかりでやはりCONTINUEは不可能。
絶対に普通のゲームでは真似できない作品であり、これもまたアクションゲームの体をとりながら読み物としての感覚が強い。


==彼と彼女のバラバラ劇場==

「言葉の設定だけで作れるゲーム」


ゲームのシステム自体は「対応する会話を並び替えて、全部対応させる」というシンプルなもので、これ単体では「斬新」とまで呼べるようなものではないが、ゲーム本体とは別に「会話のエディット機能」がついており、ユーザが簡単に会話を作成できるようになっている。ユーザのエディット機能自体も今となっては珍しいものではないが、このゲームで優れていることは「本当に誰でもエディットできる」という点にある。会場で見せたものは「男女間の会話」だけだったが、実際には「ボケ・ツッコミ」など様々なジャンルに拡張可能であり、さらに「英会話」にも応用が利くなど、「幅の広いCGM」になっている。
CGMを誘発するゲームはそこそこ出てきたものの、まだ「職人だけがちゃんとしたものを作れる」というものが一般的であるのに対し、「文章を入れるだけでゲームになる」という「本当に誰でも参加できる」システムの提案として有意義だったと思う。


==ecolpit==

「コミュニケーションとしての弾」を使うSTG


基本的には自機とたくさんの他機が居る全方位STGで、食料を手に入れることでパワーアップ&生き残ることを目的とする。
上で「敵機」と書かなかったのは、以下のような流れが起こるからである。

「食べ物をゲットするために弾を発射」
→「流れ弾が他の機体(A)に当たる」
 =「Aと敵対関係になる」
→「Aがこちらを攻撃してくる」
→「その流れ弾がさらに他の機体(B)に当たる」
 =「BはAの敵対関係になる」
→「BがAを攻撃する」
 =「Bが自分の敵を攻撃したので、Bは自分の味方と認識する」

このように、「敵」「味方」は動的に変化し、その状況下で自分が上手く勝ち残らねばならない。見境なく攻撃しまくると全員を敵に回して生き残れなくなり、攻撃しないと食料にありつけなかったり味方を作れなかったりする。
そのような感じで普通の「STG」に「コミュニケーション(体裁)」を加えたゲームになっており、「動的な敵対関係の変化」「体裁を気にした自分の行動の制御」なと、新たな概念を生み出している。


==Swarm Racer 3000==

BOIDを自機としたレースゲーム」


レースゲームとは言っても、実際には2Dの平面上を動き回って「ジェム」と呼ばれるOBJを全て回収するだけのゲーム。ただし、操作するのは「自機」ではなく「自群」。
やっていることは別に「自機」だけでできるような内容なものの、「広い場所を自群で覆ってOBJを豪快に回収」「3本の通路に別れているところを分岐して一度で回収」「ジグザグの通路で幾何学的な流れを見せながら移動」「全員で力を合わせて物体を押す」など、「見せ方」が上手かった。また、数は少ないながらも「群であることの利点」として「数体やられてもゲームが続行できる(ライフ代わり)」なども見せていた。
同じような内容でも「見せ方」が変われば違う印象を与えること、操作するのが「群」であることで「損失の可視化」や「スコアアタックを目指す場合のゲームデザインの変化」などが新しい要素になることがわかった。
ちなみに、「BOID」とは書いたものの、ここらへんのアルゴリズムについては特に説明がなかったので推測。

「操作するのは群」というネタはこの前作ったチームを操作する横STG案 - Master of Noneに似ているが、上記の通り「見せ方」がこなれてる。


==para rail==

「プレイしないゲーム」というテンプレート


「自動で何かをしている"ゲームっぽい何か"」があり、そのパラレルワールド(そこから分岐する微妙に違うもの)を作成したり削除したりする作品。会場でデモされていたのは「自動STGっぽいもの」で、「自機がやられない分岐を生み出し、やられそうな分岐を消す」というものだったが、ジャンルはSTGに限らず何にでも適用可能な概念。
「プレイしないゲーム」という名目ではあるが、実際にやっていることは「メタゲームのプレイ」という感じ。「どういうゲームになれば面白そうか」まではわからないが、現状でいくつか存在する「見るだけのゲーム」に対する一つのインタラクション(観察と選択)の形としては興味深い。質疑応答でも出てきたが、「パラレルワールド」「バタフライエフェクト」などのSF的な要素と相性が良さそう。「バタフライエフェクト」の実例を見るだけでも面白いのかもしれない。


==Transcend==

「リズムに乗る」「攻撃もかわす」両方やらなくっちゃあならないってのがこのゲームのつらいところだな


覚悟はいいか?オレはできてる。「共感覚?」の実験作で、「リズムに乗る(攻撃)」という行為と「敵の攻撃を避ける(防御)」という行為を別々に同時にこなすゲーム。見た感じでは「イースの挙動」に「MOTHERのようなリズム補正」を加えたようなゲームに見える。「左手で三角、右手で四角を描く」という感じの「難しさ」と、それをこなすことによるトリップ感があるように見えるが、こればかりはやってみないとわからない。
グラフィックや音楽、演出などがすでに高いレベルでできあがっており、今回の作品の中で一番「やりたい」と思ったゲームだった。
共感覚 - Wikipedia」という概念自体は「同時に何かをやる」というよりは「同時に何かが起こる」という概念なので、伝えたいのはもっと別のものだったか、あるいは訳が違ったか(英単語はわからない)かもしれない。


==感想==

一見しただけでは「これは本当に新しいのだろうか」というものもあったが、そういうものも解釈の方向を変えると確かに「新しい」と言えるものばかりだった。
Transcend」のような「すぐにでもやりたい実用的な作品」から「You Only Live Once」のような「売ることが想定できないような作品」まで概念も幅広く、個人的にはかなり刺激を受けることができたが、「プログラミング」という仕事の方にはあまり関係がないのも事実。一応、「Shadow Physics」のような「影生成などの技術」それ自体をゲームに応用する例などはあるので、まったくの無関係でもないが。ここのブログで作るようなゲームには影響が出るんだけども。
とりあえず、次回があったらまた行ってみたい内容だった。